CAMPARI

 カンパリの創始者は、ピエモンテ州ノヴァラ生まれのガスパーレ・カンパリ/Gaspare Campari。ノヴァラは、トリノ市とミラノ市の中間にあり、周辺は平坦な農村地帯。そのため、イタリア語で”野原の”を意味するカンパーレ/campaleからカンパリというファミリー・ネームが生まれたという。日本でいうならばさしづめ平野さんとか野原さんといったところだろう。

 ガスパーレは、1842年、14歳でトリノ市の酒場の見習いになる。そこで酒の知識を身につけた後、ノヴァラでカフェを経営。1860年にミラノ市に進出。ドゥオモ(聖堂)前の広場の一角に酒販店兼酒場を開く。ここでガスパーレは、以前から試みてきた新しいリキュールの開発を完成し、それをビッテル・アルーソ・ドランティア/Bitter All'uso d'Hollandia(オランダ風苦味酒)と名付けて、常連客に提供するようになった。

 商売は、地の利を得て繁盛し、1867年には近くの目抜きアーケード街、ヴィットリオ・エマヌスレ通りで”カフェ・カンパリ”を経営するようになった。ここでガスパーレが作ったリキュールは人気商品となり、イタリア国王ウンベルト1世や、イギリス国王エドワード7世も訪れるという名店となった。

 ガスパーレは、成功裡に1882年に死亡。後を継いだ次男のダヴィデはビッテル・アルーソ・ドランディアという長い名前のリキュールを、家名のカンパリに改名。イタリア国内での販売を始めたが、それに成功すると、フランス、スイスなど国外に輸出。その後、イタリア移民の多いアメリカ大陸にも輸出し、事業の拡大を計った。

 その間、1932年には、イタリア国内向けに小瓶入りのカンパリ・・ソーダを販売。アール・デコ調の瓶のデザインが斬新だったこともあって、飛ぶように売れ、カンパリの人気は不動のものとなった。

 カンパリの原材料配合率は、誕生以来門外不出の秘密となっているが、専門家の分析や官能検査によって、次のような材料で構成されているといわれる。

 ビター・オレンジ果皮、キャラウェイ、コリアンダー、カーダモン、シナモン、ナツメッグなど、30種類以上のハーブ・スパイス類。

 それらを100度で煮出した後、中性スピリッツを加え、アルコール度数69度で15日間タンク熟成する。これに水、砂糖、アルコール、天然色素を加え、さらに1ヶ月熟成の後、濾過して瓶詰めされる。

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